内なる怠け者とのたたかい
いつもはキビキビと家事、仕事をこなす方々の中にもきっといますよね。
内なる怠け者。
私の中にはいます、大いなる怠け者が。
借出
前回借りた軽い読書が効いたのか、心身の疲れから開放されたのかまた本を読みたくなりました。
結局、幼稚園の運動会も延期になったので、夫は次女の勇姿を見られなかったんですけどね…
今回は前日から延期が発表されていたので、お弁当は2度作らずに済みました。
お弁当作りが1度で済んだからか、前日から発表されていたからか今週はあまり疲れていません。
やはり期待が外れたり、あるのかないのかと気を揉んでいたのが良くなかったのでしょうかね。
内なる怠け者との戦い
そもそも今回はあまりしっかりお弁当を作り込むつもりもありませんでした。
完全に怠け者の勝ち。
次女ご所望の昆布のおにぎりとシャインマスカットさえ入れればいいかな、というくらいの最低レベルです(笑)
実際はいろいろ用意して3段弁当+フルーツをしっかり詰めましたけど、簡単なところから考え始めると本当に気持ちがラク。
しっかりきっかり作り込もうと思っていて、計画通りにいかないと気持ちがいっぱいいっぱいになってしまいます。
筆者が思うに、「片付け」は「捨てる」ことから始まる。
捨てるためには、有用なものと無用なものを分けなくてはならない。しかし筆者はここでハタと当惑するのである。真に有用なもの、無用なものとは何か。時の流れは、有用なものを無用にし、無用なものを有用にする。物の本質をみきわめるには時間がかかる。だがそのためには長期保管するための空間がいる。空間を確保するためには捨てねばならない。堂々巡りである。捨てたい、でも捨てられない。そうして悩み苦しんだ挙げ句、我々の内なる怠け者が囁くのだ。「明日にしよう」と。
前述の小説の中にこんな一節がありました。
小説自体はいかに週末を怠けて過ごすか、予定を詰めて過ごすかといった有意義の在り方を問うようなものなのですが、まさか片付けに関する記述が出てくるとは。
人生を怠ける
怠けるということは、やらなきゃいけないことをやらずにサボっているときに使う言葉です。
しかし、人生において怠けるとは実に難しい観点でもあります。
仕事大好き、寝る間も私生活に割く時間も惜しんで働き続ける人を怠けているとはなかなか言わないと思いますが、ある意味仕事以外のことに対して怠けていると言えます。
人間という種族である以上繁殖だってやらなくてはいけないことの1つと言えますし、心を豊かにするためにはいろいろな人生経験も必要でしょう。
しかし誰にだって、怠けたくなるとき、いろいろ考えたくないとき、心が立ち止まってしまうときもあります。
そんなときは怠けるのではなく、一度立ち止まりしっかりと意識的に休む。
これに尽きるのかな。
まとめ
とはいっても主婦業に終わりはない一方、必要最低限のことがされていれば怠け放題です。
つまり、行きている限り死ぬまでずっと内なる怠け者とのたたかいは続くということです。
読書のために家事の後回しをしないように1ヶ月過ごしてきて、早くもだらけそうになっている怠け者の呟きでした。
怠け心を断捨離できますように☆