鏡開きと八百万の神様
昨日は鏡開きでしたね。
伝統的な風習が廃れゆく現代でも、鏡餅だけは飾るという家も多いのではないでしょうか
目次
鏡開き
長女とのやりとり
鏡餅を開いておやつにおしるこいただいたのですが、長女になぜ鏡開きをするのか聞かれてきちんと答えられなかったんです。
私:お迎えした年神様が帰ったから、一時的な家だった鏡餅をみんなで食べて福をもらうんだよ
娘:どこから来て帰っていくの?
年神様ってお正月以外はなにしてるの?
全部の鏡餅に神様が来てるの?
私:知らないです…
八百万の神様がいるらしいけど…
娘:日本人の人口って何人?
私:たしか一億人?安倍さんによると
娘:神さま200万人足りないじゃん
私:いや、鏡餅は家族に1つじゃない?
娘:神社の神さまもいなくなっちゃうの?
私:分業制だと思うな
娘:ますます足りないじゃん
私:ごめんなさい、調べておきます。
と子供の質問オンパレードに支離滅裂、口からでまかせ並びたててしまいました。
神様ごめんなさい、厄年だって気づかないでくださいね。
調べものスタート
とりあえずはハテナから
1月11日何の日「鏡開き、蔵開き、塩の日」敵に塩を送る上杉謙信 - ポジ熊の人生記
やはり時事は数多くアップされていますね。
私なんて一日遅れですが、4日、15日や20日にされるところもあるみたいですからOKってことで!
武家の風習
鏡餅は、意外と古く平安時代には既に存在していたそうで、源氏物語にも出てくるのだとか。
ただし、今のように飾るものとなったのは室町時代からで、家屋に床の間ができたからみたいです。
武家では、床の間に甲冑を飾り、その前に鏡餅を備え、ユズリハ、熨斗鮑、海老、昆布、橙などを載せるのが通例となっていた。
ここから橙を載せたり、熨斗をつけたりする名残があるんですね。
今でも地方によっては串柿や熨斗鮑、昆布も一緒に備えているそうです。
一般的には橙さえ温州みかんで代用されているのではないでしょうか
そして、鏡開きが「切る」「割る」ではなく「開く」を使うようになったのも、武家の風習として広まったので切腹を連想させるのを避けたためと言われています。
そもそもお正月とは
年の初めに穀物神である年神様が各家を回るとされるため、豊作を祈り祀る行事となった。
一般家庭では、しめ飾りが依代とされることが多いですね。
神様の依代だった門松やしめ飾りはどんど焼きで、お供え物だった鏡餅は鏡開きで、どちらもありがたく福をいただきます。
また大年神の子に御年神、孫に若年神もいるようです。
八百万の神
八百万(やおよろず)を800万という数だと思っていたのですが、これは間違いでした。
八百万とは「非常に多くの」「無数の」という数が多いことの例えで、八百万の神とはありとあらゆるものに神は宿っているという自然崇拝からくる言葉のようです。
自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。
日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。
自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。
八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。
神無月
神様にまつわる話では、神無月が有名ではないでしょうか
旧暦10月に全国の神様が集まって縁結びや一年のことを話し合ったりするため出雲大社に集まるので、他の土地には神様がいなくなる。
それで、神無月というのだと。
しかも、神社に祀られてるような偉い神様には代わりに留守番をする神様までいらっしゃいます。
ところが、この説は後付けされた民間伝承だというのが有力なんだとか。
神無月の「無」は私たちの思い浮かべる「無い」という意味ではなく、『の』という助詞。
だから、神が無い月ではなく、神の月 神様を祭る神事が多い季節だからということですね。
同じように6月の水無月も水の月、梅雨に合いますね。
まとめ
調べてみた結果、鏡餅よりもしめ飾りをきちんと御返しするべきなのではと思いました。
どんど焼きに行きそびれてしまったので、厄払いに行くときに合わせて神社にお願いしてきます。
年神様についてはイマイチ調べきれませんでした。
そして、流れで見てみた神無月の件がショックです…
神様たちが集まって縁談話をしてるなんて、ちょっとシュールで可愛いので好きな言い伝えだったのですが。
信じるものは救われる、で身の回りの八百万を大事に生活していきたいです。
粗雑な性格が改善されますように☆