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けんけんぱ☆は筋トレ

小さなことでも全力で頑張るトレーニング

夫婦の仲にも礼儀あり

特殊な能力を持っていない限り、どんな感覚も正確には本人しか分かりません。

人への嫌悪感

頭痛前のザワザワ
雨の前の匂いも、日差しの眩しさも、靴下を脱いで布団に足を入れた時の快感も。

unbelievable

感覚の共有

全ての感覚が自分1人のもので、誰とも共有できないという話ではありません。

ただ、同じものを同じ場所で見ていても同じように見えているとは限らない、ということ。

「赤」なら「赤」という名称の色をイメージするけれど、それが頭の中で同じ色が浮かんでいる確証はないのではないかなぁという謎の設定が長年私の中で想像されています。

色で例えると色盲色弱の症状と混同されてしまう気がするのですが、それとはまた違って…

共通認識というものはあまり確かなものではなくまた厳密には確かめようもなく、ましてや感情や意見を同調させようというのはすごく愚かなことではないかという話です。

そもそもその時々の感情で同じ人でも違う色に感じることだってあるんだから。

と色々調べていたら私は人より多く色を見分けられるみたいだけど、そういう話でもない。ところでこれホントかな

同調を強制する夫

夫が日常のあらゆる場面で、不快な感情に同調させようとするんです。

こいつ生意気、あいつの運転ふざけてる、後輩を叱ったら泣いた、などなど。

これだけ書いただけでも、夫が低レベルで子供だということが分かっていただけると思います。

ただこれに上手く共感を示して、夫を素早く納得させるだけの共感力と会話力が私にも足りていません。

いつもムダに否定、反論してしまい余計に夫の機嫌を損ねてしまいます。

ただ私が未熟で夫を諌めるだけの包容力がないといえばそれまでなのですが、最終的に「夫を否定したこと」に対して謝罪を求められて会話が終わるので釈然としません。

それじゃあ、毎回自分の意見を飲み込みイエスマンとして側に居ればいいだけなのか?と夫に問うときもあります。

「たとえ意見が違ったとしても、どこかしら一度受け止めてから反論しろ。いつも全否定されている。」との返答です。

この問答を経ると夫としても謝罪を求めることは正しくないと気づくときがあるのですが、自己否定感や不自由さを感じてしまいます。

やっと先日読み終わったこちらの『5日目・しぐさを見つめ直す1日』の項目の中に会話に関する記述がありました。

 私たちは同じ環境で育ったわけではなく、教育レベル、時代背景も違います。 

 ですから、絶対に正しい意見というものは存在することはありません。それなのに価値観を押し付けたまま、あるいは否定したまま終わらせると、相手のアイデンティティは尊重されないまま終わるわけですから、当然ながら関係がこじれていきます。 

 肯定・否定・肯定と会話の最後を肯定で終わらせることで、相手の持つ異なる価値観を尊重し心地よい印象を残すこととができる、と。

これって生産的な議論の場ではなく、どうでもいいような世間話の中でこそ大事になることでしょうか?

どうでもいいような会話だと思っているなら適当に頷いていればいいじゃない、と頭の片隅では思うのですがどうも素直に夫に対して同調することができません。

そもそも同調ではなく、共感を示せば収まる場面だったのかも結果的には分からなくなってしまいます。

母としての処世術

私の共感力が足りないことが原因だと思うようにしているのですが、納得はできていません。

なぜなら、PTA、父母会、ママ友との付き合いの中では上手く話を聞けていると思っているからです。

この人話し好きだなぁ、この間もこの話してたなぁ、この人に何か話したらすぐに他の場所で言いふらされちゃうんだろうなぁ、というような人に対してもそつなく会話を合わせられているんじゃないかな。

過度の同調はせず、かと言って否定もせず。

それとも、自分で思っているだけで私と話すといつも否定されちゃうなぁと周りに思わせてしまっているのでしょうか。

なんでも思ったことを口にするのは得策ではない、と理解しています。

自分なりの結論

外で我慢する分、家では夫に対しては素直なありのままの自分でありたいという想いから、夫をはけ口にしてしまっている部分があるのかもしれません。

親しき仲にも礼儀あり、ですね。

長い時間一緒に過ごしていく夫に対してこそ、意見を受け止め言葉を選び会話をしていかなくてはいけませんね。

そして、夫も外で我慢している分、私には全面的に受け止めて欲しいと願っているのかな、と今気付きました。

自分を変えることで夫も変わっていってくれますように☆